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働くママの育自エッセー《毎日がつなわたり》
英語ビデオは早期教育の香り

 娘を保育園に預けた帰り道、自転車こぎこぎ考えた。娘ももうじき1歳半。歩き出し、言葉が出てきて、ずいぶん周囲の物事がわかってきた。そろそろ「赤ちゃん時代」はおしまい。急激に重みを増した10キロの図体でごろごろ転がってくる姿には、ほやほやした赤ちゃんのもろさなどもはや微塵もなく、まさに「子ども」の図太さがある。親の方も子育てに慣れてきて、少々転んだって、頭をぶつけたって、だいじょぶ、だいじょぶ……というアバウトさを身に付けた。やれ一安心。

 でもひとつ気になることがある。最近、娘は英語のビデオにすっかりご執心。先日は、静かにしているからいいやと放っておいたら、1時間半におよぶディズニーの大作「ピノキオ」を最初から最後まで観とおしたあげく、別のビデオをかけろとせがみに来たので、びっくりした。
そういえば、このところ絵本やおもちゃであまり遊ばなくなっているなぁ。そう思っていた矢先に、保育園からも「最近、積極的に他の子と遊ぼうとしない。ビデオの影響では?」と注意され、「今に飽きるよ」とのんきに構えていた夫とわたしも、とうとう気にしだした。第一、毎日数時間も観ているとなれば、視力低下だって心配だ。
だけど、もはや手遅れだった。すっかりビデオにハマッてしまった娘は、泣きわめいてでも意志を貫く(いったいだれに似たのだろう?)。手足をばたつかせての大泣きにへとへとになった親が、目に涙をいっぱいためた娘をテレビの前に降ろすと、みるみる目を見開いて笑みを浮かべるのだから……やれやれ。でも、どうしよう!?

 弱り果てて友だちに相談したら、「いいわねー!」と、うらやましそうにため息をつく。けげんな顔をすると、「うちの子なんて、見せても10分も続かないわよ!」と嘆くのだ。最近流行りのバイリンガル教育や早期教育のおかげで、「英語のビデオ」は「玩具」ではなく「教材」とみなされているのだと知った。
「テレビを子守りにするべからず」という育児雑誌の教えを破っているんじゃないかと、少々うしろめたく感じていたわたしは、そうした見方にいくらか救われた気分になったのだけど……。

 実はうちの子ども用ビデオが全部英語なのは、日本語のビデオを毎日何度もくり返されたら、とても耐えられないと思った親の都合にほかならない。英語だったら(一発ですべて聞き取れることがまずない)親たちも、毎回それなりに発見があるから一緒に楽しめるし、少なくともあまり耳につかない。(ついでに言うと、二ヶ国語放送で聞き比べればよく分かるけど、日本語の幼児番組では、どうして甲高くて耳につく声の女性ばかり出てくるのか?)
なんにせよ、わが娘に限らず、幼児特有の執着心と集中力は脱帽ものだ。そうでなくとも少子化で子どもに「目が行き届きすぎる」昨今、「ウチの子、天才かも!?」とか「今ならイケる!」と思った世の親が、早期教育に走ってしまう気持ちも分かる。そうした親の心理に教育産業がつけこみ、「今しかない!」「早く始めないとダメになる!」と強迫観念をあおりたてる。そんな状況だからこそ、「英語のビデオ」の観すぎという悪癖も、あたかも「長い時間お勉強」したかのように称賛される、というわけだ。

 日本語もおぼつかない1歳や2歳の子どもに英語のビデオを与えて学習効果があろうとは、わたしはほとんど期待していない。1つ2つ口真似をして、親を喜ばせてくれることくらいならあるかもしれない。だけど、ただビデオを見せておけばバイリンガルになれる……なんてことはありっこないし、いずれ日本語が流暢になれば、自由に話の通じない英語を「つまんなーい」と避けはじめるんじゃないかとも思ってる。だから、「今のうちに遊びの一貫として慣れてくれればラッキー」という程度の期待しか抱いていない。

 そもそも言葉はコミュニケーションが命だ。人と意志を通じ合わせるために使って初めて生きた言葉として定着するのであって、親や周囲の人々に通じない(文字通り「無意味な」)言葉はどんどん消えていくという。だから時々、英語だとかインドネシア語(去年バリ島に行ったときに仕入れた)だとかを使って子どもに話し掛けたりもするけど、それだって遊びの範疇にとどめたい。反復訓練すれば、犬だってある程度のことは覚えるけれど、それは「芸」であって「語学力」じゃないと思うからだ。(子どもに「芸」を仕込むのは楽しいから、けっして全否定しているわけじゃない。)
早期英語教育の宣伝では、「耳が固まっていない」幼い子どもには、外国語特有の「音」を聞き分ける能力があるといった説(日本人が大の苦手とする「RとLの音」がいい例)がよく使われる。それは発達心理学上、ある程度は真理なのかもしれないけれど、そうした聞き分けができたからといって、どうだというのか。総合的な語学力がアップするわけでもないし、「RとLの聞き分け」のために(?)費やす膨大な時間をほかに振り向ければ、別の才能が開花するかもしれない。

「バイリンガルになりたければ親を選ぶしかない」とも言われるが、どうやら親だけでも無理らしい。国際結婚した友達によれば、育つ環境が圧倒的に日本語ばかりだと、やっぱり子どもの第一言語は日本語になってしまうそうだ。
「じゃあ、周りがみんな英語をしゃべっている環境に入れればいいのね」と思う親が多いのか、英語のプリスクール(幼稚園)なども大人気らしい。白状すれば、わたしもちょっと気になって調べたことがあるのだが、あるプリスクールの学費は、今、わが家が娘を預けている無認可の(けっして安くはない)保育園の倍以上で、預かってもらえる時間ははるかに短かった。おまけに、園庭もないビルのワンフロアーにあるというのだ!
いくら先生が「英語のネイティブ」であろうとも、お友だちの多くが「英語をしゃべる子」であろうとも、わたしだったら娘を毎日そんなところに通わせたくはない。当たり前のことだけど、他のものを犠牲にしてまで「英語がすべて」じゃないのだし、そうあってはならないとも思う。いくら国際語だろうと、英語がしゃべれるかどうかより、感受性や体力、知力や自主性、判断力などなど、たいせつなものはほかにいっぱいある。第一、ただべらべらしゃべるよりも、しゃべる中身――つまり《人間形成》こそ大切ではないか。

 だからこそ、他のことをする時間が奪われてしまうビデオの観すぎが気になるのだ……ただしうちの娘の場合は、画面に近づきすぎないようにしたり、一緒に観て話し掛けたり、ようすを伺って他の遊びに誘ってみたりと、当面、工夫してみるしかなさそうだ。

 なんにせよ、子育てって「正解」はないし、一筋縄ではいかない。ホント、子育てって忍耐だよ……そんなことをぼやいていたら、友達に言われた。
「じつは何もしないことこそ、いちばん忍耐がいるのよ」
子どもの自主性を信じて、じっと我慢して見守るのだという。情報過多のこの時代、そういう子育て観には大いに惹かれる。でも、はたしてわたしにできるだろうか……。ビデオひとつで大騒ぎしているようじゃ、まだまだ《人間》ができてないぞ!

【筆者プロフィール】

しみずくみ

フリーランスで翻訳/執筆業を手がける傍ら、育児支援グループやミニコミ作成など、コミュニティーの活動にも精力的に関わる1児の母。
「違いがあれば豊かになれる」がモットー。

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最近、助産婦の坂本みゆきとの共著で『お産ルネサンス』を出版。
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英語ビデオは早期教育の香り


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