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働くママの育自エッセー《毎日がつなわたり》
パパは一番の子育てチームメート

 まだ子どもがいなかった頃、親になりたての男女が子どもの話ばかりしたがるのに辟易したことがある。「他に話題がないの?」と呆れたし、「わたしは、ああはならないぞ」と決意した。

 ところが、子どもを産んでみたら、時に自分もそんな親のひとりになっていた。つまるところ、自分の時間の大半を取られてしまうものに話題も関心も集中してしまうのは、しかたないことなのだと悟ったのだ。そんなある日、仕事上知り合った女性がわたしの半年後に出産していると判明し、いつものごとく、ひときしり子どもやお産の話に花が咲いた。

  彼女は都内の某有名病院の産科で出産したという。「立ち会い出産だったし、とてもよかった」と言うので、へえ、そうなの。わたしも立ち会いだったのよ……と話を進めていったが、どこか話がぎくしゃくする。詳しく話を聞いているうちに、同じ「立ち会い」でもずいぶん中身が違うもんだと驚いた。わたしの夫の立ち会いを「お産参加型」だとすれば、彼女の夫のそれは「お産参観型」とでも言おうか。つまり、「いざ生まれる」というときになって初めて、殺菌消毒した白装束の夫が分娩室に入場し、晴れの舞台を見守ったのだという。

 お産参観型の立ち会い出産も、もしかしたら夫族に感謝の気持ちを抱いてもらうためには有効な方法なのかもしれない。観客参加型イベントのように赤ん坊のへその緒を切るという大役を割り振られることは、新米パパにとってそれなりにすばらしい体験なのかもしれない。だけど……どうもわたしには違和感が残る。

 個々の経験の中身は他人には預かり知る余地もないのだから、「立ち会い出産でよかった」と喜んでいる人の気持ちを否定するつもりは決してない。だけど、わたし自身は「冷静に観てるだけの人(それが夫であろうとも)」がいるお産には惹かれない。考えてみれば、「立ち会い」とは字義的には「立って見ている」意味なのだから、もともと傍観者っぽい言葉だ。だったら、むしろ夫や家族がお産に参加・協力どころか巻き込まれるお産を「立ち会い出産」と呼ぶほうが間違っているのだろう。誰が言い出したのかは知らないが、「夫参加型」のお産は、そもそも「立ち会い出産」とは別の名称にすべきだったのだ……。

 名称はともかく、わたし自身は助産院で夫と「一緒に産む」タイプのお産をした。夫は陣痛がまだ弱かった前日の早朝から24時間以上も休む間もなく付き添い続けたあげく(妊婦のわたしだって休む間もないのだから当然なんだけど)、やれ水だ、食べ物だ、トイレに行きたい、腰が痛いと言うわたしに、かいがいしく尽くしてくれた。陣痛が強くもなれば、夫も助産婦さんも一緒に汗をかきかき、呼吸を合わせて、延々と励ましつづけてくれたし、いざ産むぞという段になったら、みんなで「ふ~~んっ、ふ~~んっ!」と、いきみ声の大合唱。おかげで……すぽん!  ふぎゃ~! やった、生まれた! 良かった、良かった……と笑顔を見交わした時には、まさに協同作業をやりとげたチームの気分。かなりハッピーな体験だった。

 それでも、痛いのはわたしひとりだけかと思っていたら、どうやら痛みまで共有させていたらしい。いきむわたしが〈産み場の馬鹿力〉でしがみついた夫の両腕は、すっかり血の気がうせていた。夫いわく「手が痛かったことしか覚えていない」そうで、子どもが出てくるのをじっくり見守るどころの騒ぎではなかったという。だけどおかげで「一緒に産んだ」という実感だけはある。産みたてでほやほやのわが子をへその緒も切らずに胸に抱いたとき、夫の疲れきった笑顔はすぐそばにあった。あんな立ち会い出産なら、もう一度やってみても悪くはない。
「参加型お産」のもうひとつの良さは、お産の経過・進行・変化をパートナーと一緒に経験するので、何があってもあまり驚かなくなることかもしれない。般若の面も、くるっと振り返って急に変わるから怖いのであって、ゆ~~っくり時間をかけて表情が変わっていくのならべつに驚きもしないはずだ。

 立ち会い出産が原因で、夫が不能になったとか、果ては離婚したといった話を聞いたことがあるが、ほとんどが「参観型」の立ち会い出産のショックのせいじゃないかと、わたしは疑っている――陣痛から分娩に至る劇的な変化の途中経過を知りもせず、「ついに俺も父親か……」などとロマンチックな感慨を抱きながら緊張したおももちで分娩室に入っていった夫が、陣痛の前までは慎み深く女らしく弱々しかった(はずの?)妻が分娩台の上でまさに動物的な「雌」そのものとなって咆哮している現実を目の当たりにしたら、まさにアッパーカットを食らった気分だと思うからだ。そうとうにショックなんじゃなかろうか。(だとしたら、最後の〈咆哮〉の部分は同じでも、少しずつ取り乱していくのを見守っているほうがまだしも……じゃない?)傷つきやすい男性心理へのいくばくかの配慮のためにも、分娩時に立ち会うつもりの男性たちには陣痛のあいだもずっと妻に付き添うことをぜひお奨めしたい。

  しかし、思えば「子どもをもつ」という体験自体が、急激な変化と移行を伴う衝撃的なものかもしれない。ただしこちらはボディーブローみたいに効いてくる。生活のありかたも、二人の関係もいやおうなく変わる。産んだ女性のほうは、そうした変化を文字通り「わが身で体験」するためか、あるいは修羅場を体験してしまった人間としての諦めや開き直りのせいなのか、比較的適応が早いようだ。しかし、男性のほうはなかなか「父親意識」が育たないといわれる。だったら、ともかくまずは出産・育児の中でもいっちゃん劇的なお産を「一緒に体験」してみてはどうだろう?  お産のときから、傍観者ではなく積極的な参加者になってみるのだ。

 こんなことを言うのも、どうもお産ばかりか子育て全般について傍観者的になっている夫族が多いように見受けられるからだ。まだマシな夫でも、多くはサポーターどまりで自分でプレーしようという意欲に欠ける。だけど、子どもを産んだほとんどの女たちが求めているのは、当たり前のように負担を分かち合い、一緒に悩みながら子育てしていくチームメートなのだ。そう、子持ち女のひとりとして言いたい。「子どもの話題ばかりのお父さん」というのもけっこう魅力的だよ。

【筆者プロフィール】

しみずくみ

フリーランスで翻訳/執筆業を手がける傍ら、育児支援グループやミニコミ作成など、コミュニティーの活動にも精力的に関わる1児の母。
「違いがあれば豊かになれる」がモットー。

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最近、助産婦の坂本みゆきとの共著で『お産ルネサンス』を出版。
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親子のサロン「さくらんぼ中央」スタッフとして
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パパは一番の子育てチームメート
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