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働くママの育自エッセー《毎日がつなわたり》
ジェンダー色のお砂場セット

ジェンダー色のお砂場セット

 最近は、ジェンダーフリーという言葉があちこちで使われている。子どもを産んでから、この言葉を意識するようになった人も、少なくないんじゃないかな?  わたしも娘を産んだことで、この言葉が(そして、ジェンダーフリーではない世の中の実態が)以前に増して気になるようになってしまった。
先日は、スーパーのおもちゃ売り場で「お砂場セット」が目についた。3歳くらいからのおもちゃで、よく見たら「女の子用」「男の子用」と書いてある……ん?  どういうこと? 砂場遊びが男女で違うの? ただの色違い?(もしそうなら、娘のために「青」を選ぶのがわたしの常なのだ。)
比べてみたら色違いではなかった。両方に共通しているおもちゃがほとんどだったが、女の子用の台所道具の代わりに、男の子用にはダンプカーが入っていたのだ……。いいかげんにしてよねぇ!  人生に必要なものはすべて砂場で学んだという作家もいたものだけど、女の子はこんな小さなときから「作る人」にさせられていくの?
それくらい別にいいじゃない、と思う人も多いだろう。だけど、こういった「さりげないすり込み」というやつが細々と積み重なることによって、いずれボディーブローのようにきいてくるのだ。その結果、やがて「ワタシ作る人、ボク食べる人」の構図に組み込まれてしまうような気がしてならない。
わたしの友達は、1歳の息子の誕生日祝いとして高価な木製のままごとセットを買ったという。「これからの男の子は料理くらいできなくちゃね」という彼女に、そりゃ当然とうなずいた。
逆にわたしは、娘のためにままごとや人形を買うことに強いためらいがある。だから、息子だったら、かえって堂々と買い与えられたのになぁ……と、妙なうらやましさを覚えた。そして、うらやましく思っている自分に対して、ああそうか、じつはちまちました愛らしいままごとセットだとか柔らかい肌のお人形だとかは、わたし自身が好きなんだなぁ……と改めて気づかされた。
そうした好みは社会的に作られたものなのか、それともわたし個人の性向なのか。たぶん両方なのだし、鶏と卵みたいなものに違いない。それに、どうやってできあがった好みであろうと、マシンガンや刀より、ままごと道具や人形のほうが好きな自分自身を否定することはないはずだ。
問題は、不要なところで「女の子/男の子」にわけていくことなのだ。それは、まだ偏見をもっていない子どもたちに、大人の思いこみや価値観を押しつけていくことにつながる。
それにしても、わたしみたいに、これみよがしに娘のために「青」を買うというあまのじゃくでも、わざわざ「男の子用」と表記されたものを買うのは、ちょっとした勇気がいるものだ。お砂場遊びの道具にバラエティーをつけるにしても、べつに性別にする必要はない。「ままごとセット」と「ダンプカーセット」といった区別にすればいいはずじゃないか……。
何でも男女別にするという発想から逃れる必要がある。それが「ジェンダーからの解放」なのだ。そして、これからの時代を生きていく子どもたちに「女/男」で縛ってしまわないように気をつけていくのは、大人としての責任でもある。なにしろ「ジェンダー」というのは、そもそも大人たちのかたくなな頭のなかに存在しているものなのだ。
現実の砂場では、ダンプカーな好きな女の子と、ままごとが好きな男の子が、楽しくいっしょに遊んでいる。

【筆者プロフィール】

しみずくみ

フリーランスで翻訳/執筆業を手がける傍ら、育児支援グループやミニコミ作成など、コミュニティーの活動にも精力的に関わる1児の母。
「違いがあれば豊かになれる」がモットー。

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最近、助産婦の坂本みゆきとの共著で『お産ルネサンス』を出版。
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親子のサロン「さくらんぼ中央」スタッフとして
ジェンダー色のお砂場セット
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