|
この4月から中央公民館で「さくらんぼ中央」を開くようになった。毎回おおぜいの親 子が集まってきては、おしゃべりに花が咲く。自分自身の娘が2歳のわたしでさえ、ゼロ
歳児が並んでいると「なつかしい」気持ちになってしまう。それくらい、子どもの成長は 早い。一方で、自分もつい2年前には子どもの離乳食のことで悩み、「公園デビューって
どうやればいいんだろう?」と真剣に考えていたんだよなぁ、と思い出す。いつのまにか 母親としてずいぶん成長して(手抜きをおぼえ、ずぼらになって)きた。そうやって「成
長」できたのは、子育て仲間がいたおかげに違いない。
わたしが「さくらんぼ中央」のスタッフとして名乗りをあげたのは、新米母親にとって 「出会いの場」がどれほどたいせつかを身をもって経験してきたからだ。
数年前に東村山に越してきて、知り合いもいないままに妊娠・出産してみて、子どもを もった母親がどれほど孤独な存在か、わたしはいやというほと痛感させられた。子どもが
生後2か月になった頃、手伝いに来てくれていた母が帰ってしまったら、だれも話す人も いなかったし、幼子を連れていける場所もなかった。
赤ん坊はとにかくよく泣く。「幼児虐待」がどうしてこれほど社会問題になっているの かが分かった。それまで働いていた人ほど、地域とのつながりは薄い。赤ん坊のことを知
らないまま親になってしまった人も多い。現代の母親は孤立しているのだ。そして、わた しもそうだった。 「このままじゃヤバイ」と思って、子どもを産んだ国分寺の助産院まで、足繁く通った。
だけど、ゼロ歳児を抱えて毎回電車に乗っていくのには限界があった。身近なところに知 り合いを作りたい、友だちが欲しい……と切々と考えた。市や民間の子育て学級に通い、
出会った人に片っ端から声をかけ、家に呼んだりもした。やがて新米の母親たちが、みな 行き場を探していることに気づいて、仲良くなったママたちに、「出会いの場、行き場を
作ろうよ」とサロンを開くことを呼びかけた。それが、「トコトコの会東村山」の始まり だった。
2年前、ゼロ歳児を抱えながら始めたトコトコの会のオープンサロン(出入り自由とい う意味であえて「オープン」をつけていた)には、驚くほど多くの母親たちがやってくる
ようになった。そこで出会った女性たちのあいだに友情が芽生え、やがて新たなサークル やグループが産まれ、市に要望を出したり、情報誌を作ったりといった社会的な動きも始
まった。(今年、社会福祉・医療財団から200万円の助成金をいただいて、市内でいくつ ものイベントを行っている東村山育児支援ネットワーク=いくネットも、そうした母親た
ちのネットワーキングから始まったものだ。)
そうした動きのひとつが、じつは今回「さくらんぼ中央」の運営を申し出たトコトコ・ ワールドというボランティア・グループだ。(トコトコの会東村山は、この4月にボラン
ティア・グループの「トコトコ・ワールド」と、外遊び中心の子育てサークル「トコト コ・キッズ」の2つに分離発展した。ちなみに、現在わたしは上述のいくネットとトコト
コ・ワールドの代表を務めている。)
この春から、トコトコ・ワールドは、さくらんぼ中央とさくらんぼ諏訪の開催情報を掲 載する「さくらんぼ通信」という月刊情報紙をボランティアで発行するようになった。そ
の編集メンバーも、みな未就学児を抱えている母親たちだ。メンバーのなかには、わたし 同様にフリーランスで働きながら活動に加わっているワーキング・マザーもいて、目が回
るほど忙しい。だけどみんなパワフルだし、それぞれのやりかたで、子育てを楽しんでい る。一人で孤立して子育てしていたら、決してこうはなれなかっただろう。
出会いの場があったからこそ、仲間がいたからこそ、母親となることで社会との絆が断 ち切られてしまった女性たちの秘めているパワーがここまで引き出されてきたのではない
だろうか。人と人とがつながっていくことで、相乗効果が生まれたのに違いない。だから こそ、さくらんぼのような出会いの場になる親子のサロンの意義はとても大きいのだと思
う。 この少子化の時代のなかで、東村山は比較的子どもの数が多いという。あちこちで赤ん 坊が産まれ、母となった女性たちはかつてのわたしたち同様に孤独で、行き場を探してい
る。だからこそ、今後、もっと多くの市民の会のメンバーの賛同を得て、さくらんぼの親 子サロンの活動が発展継承されていくことを願ってやまない。そしてまた、親子のサロン
「さくらんぼ」が、子育てを終えた世代と次の世代との絆を育てる場になることも期待し ている。
|